本堂(清水の舞台)

清水寺は、北法相宗(※)大本山の寺院です。

(※)
長らく奈良の興福寺に属する法相(ほっそう)宗の寺院で、平安中期から明治18年(1885)までは真言宗を兼宗。昭和40年(1965)大西良慶が北法相宗を開宗し、法相宗から独立しました。

宝亀9年(778)賢心(後の延鎮)は、夢のお告げに従い、音羽の滝に向かうと、一人の僧と出会います。名は行叡といい、行叡は賢心に霊木を授け、東国へ行くと告げ姿を消します。賢心は授かった霊木で千手観音を彫り、行叡が残していった草庵に観音像を祀ります。これが清水寺の起源とされています。

宝亀11年(780)坂上田村麻呂(※1)は、妻の安産ために鹿を狩りをしていましたが、清水に導かれ、音羽の滝で修行をしている賢心と出会います。賢心に感銘を受けた田村麻呂は、妻と共に帰依し、自らの邸宅(※2)を寄進して、十一面千手観音を本尊とする寺院を建立、「清水寺」と名付けました。

(※1
蝦夷(えみし)を征討する「征夷大将軍」に任じられ、東北地方の蝦夷征討に成功し、朝廷の支配地域を広げました。蝦夷とは、東北地方から北海道にかけて住んでいた諸部族の総称で、アイヌもこれに含まれます。
(※2
田村麻呂が長岡京(784-794)にあった紫宸殿を拝領し、移築したともいわれています。

延暦17年(798)本尊の脇侍に毘沙門天と地蔵菩薩が置かれます。

延暦24年(805)朝廷から寺地が与えられ、清水寺は寺領を広げるともに桓武天皇の祈願を執り行う寺院(御願寺)になります。

弘仁元年(810)仏道修行の場(道場)となり、嵯峨天皇から「北観音寺」(※)の宸筆を賜ります。

(※)
賢心は、奈良県高取町にある子嶋寺の僧で、子嶋寺は観音信仰の霊場として広く知られており、清水寺は、その北に位置することから。

文明元年(1469)応仁・文明の乱の兵火により、伽藍を消失。再興の費用を捻出するため、諸国勧進(広く資金を募ること)が行われ、特に時宗の僧「願阿彌(がんあみ)」は、興福寺から正式に清水寺の勧進僧の資格を与えられ、再建に大きく貢献しました。

願阿彌が得た資格は、「本願職」と呼ばれ、伽藍の管理や財政を司る役職となり、願阿彌の住居には「成就院」の名が付けられ、やがて清水寺を代表する塔頭になります。

寛永6年(1629)成就院から出火し、多くの伽藍を失います。現存する伽藍の多くは、消失を免れた、馬駐、仁王門、鐘楼、子安塔を除き、寛永年間に徳川3代将軍家光によって再建されたものです。

平成の大改修

本堂(清水の舞台)

2018年2月20日

平成20年(2008)から工期11年の予定で、本堂など9棟を順次修復しています。

平成30年4月20日時点で、馬駐、北総門、子安塔、朝倉堂、轟門、阿弥陀堂、奥の院の修理が完了し、残すは本堂と釈迦堂となりました。

国宝 清水寺本堂ほか8棟 保存修理事業(京都府教育庁指導部文化財保護課)

本堂と舞台

本堂現在の本堂は、寛永10年(1633)に再建されたもので、正面約36メートル、側面約30メートル、高さ18メートルの仏殿です。十一面千手観音菩薩を本尊としていることから、大悲閣(※)とも呼ばれています。急な斜面に迫り出すように建てられていて、突き出た部分を舞台といい、古くから舞楽など芸能を奉納する場所として利用されてきました。

(※)
観音菩薩が祀られている堂を大悲閣(だいひかく)といいます。

舞台舞台は、面積約190平方メートル、総檜板張りで、最長12メートルのケヤキの柱を並べ立て、貫(垂直材間に通す水平材)を縦横に通して楔(くさび)で組み固めることで、釘を一切使わずに構築されています。
江戸時代には清水の舞台から降りると願いが叶うという信仰があり、清水寺の記録『成就院日記』によると、1694年から1864年までの間に未遂を含めて234件の飛び降りが行われています。尚、生存率は85.4パーセントでした。

仁王門

仁王門仁王門 扁額室町時代後期の再建で、平成11年(1999)より工期4年で解体修理が行われました。仁王像は鎌倉時代のもので、高さは365センチメートルあり、京都府下では最大級のものとなっています。

扁額は平安時代の書家である藤原成行(なりゆき)の筆で、成行の筆跡は、後に小野道風(みちかぜ)、藤原佐理(すけまさ)とともに「三蹟」(※)として称えられます。

(※)
他に「三筆(さんぴつ)」という各時代の優れた書道家を指し示す言葉がありますが、この3人は後世に影響を与えるほど優れていたため、尊敬の意をこめて「蹟」という言葉が使われています。

子安塔(こやすのとう)西京祇[祇]園神社[神社]ノ景子安塔

明治44年(1911)に現在の場所へ移築されるまでは仁王門の手前にあり、安産の祈願所として信仰を集めていました。三年坂の別称「産寧坂(さんねいざか)」は、子安塔への参道であることから付けられたといわれています。

平成の大改修における解体修理の過程で、明応9年(1500)の墨書が発見されたことから、室町時代後期の建造物であることが判明しました。

今年の漢字

平成7年(1995)より、公益財団法人日本漢字能力検定協会が"漢字の持つ素晴らしさや奥深い意義を伝えるための啓発活動の一環として始めたもので、毎年年末に一年の世相を表す漢字一字を全国から募集"し、最も多い募集の漢字を貫主の森清範の揮毫により発表しています。
発表日の12月12日は、同協会が制定した記念日(漢字の日)で、「いい(1)字(2)一(1)字(2)」の語呂合わせに因みます。(「今年の漢字」は同協会の商標です。)

普及啓発・支援活動 | 事業・活動情報 | 公益財団法人 日本漢字能力検定協会

参考文献

森清範・田辺聖子『新版 古寺巡礼 京都 第26巻 清水寺』(淡交社)

『清水寺 Kyoto Kiyomizu dera Temple』(便利堂)

『都名所図会』

古写真データベース『西京祇[祇]園神社[神社]ノ景』(国際日本文化研究センター)

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