清水寺 奥の院
奥の院は、『清水寺縁起』に登場する行叡が残した草庵の旧跡に建てられていると伝えられています。
千手観音を本尊とすることから「奥の千手堂」、また、平安中期から明治までの間、真言宗を兼宗していたことから、「真言院」とも呼ばれ、秘仏本尊の三面千手観音坐像、真言宗の開祖である空海の像(弘法大師坐像)などが安置されています。
本堂と同じ寛永10年(1633)の再建、建築様式も本堂と同じで、急な斜面に迫り出すように建てられています。
平成15年(2003)奥の院再建から370年を記念して、秘仏本尊の開帳が243年ぶりに行われ、その後、奥の院御本尊開帳記念として全国各地で本尊などを展示する催しが開かれました。
修理前(2011年7月に撮影)
平成18年(2006)舞台板の張替えや耐震工事(参考①)、平成25年(2013)3月から平成29年(2017)6月にかけて、"後世の改造部分の復原、外側上半部を中心とする彩色等の塗り直し"(参考②)が行われました。
擬宝珠(ぎぼし)の銘文
舞台の高欄の親柱に付けられている飾り(擬宝珠)には、左「奥千手 舞臺(台)」、右「寛永拾(十)癸酉(みずのととり)歳(年) 十一月吉日」の銘文が刻まれています。
ふれ愛観音と夜叉神
ふれ愛観音像は、元清水寺信徒総代で仏師の西村公朝が彫像・寄進したもので、"目の不自由な人びとにも、手で触って観音様を拝んでほしいという"願いが込められています。(参考①)
夜叉は、悪鬼が仏法に帰依して護法神となったことから、恩恵がある反面、悪人や信仰のないものには容赦なく罰を与えるといわれています。清水寺では「縁切りの神」として信仰され、奥の院南脇堂でお祀りしています。尚、以前は奥の院の南側に庭があり、そこに夜叉神堂を建ててお祀りしていました。
正面から
参考文献
- 横山正幸『京都清水寺さんけいまんだら』(京都 清水寺)