子安塔(こやすのとう)
子安塔は、明治44年(1911)本堂の真南に移築されるまでは仁王門の手前にあり、安産の祈願所として信仰を集めいました。このため、三年坂の別称「産寧坂(さんねいざか)」は、子安塔への参道であることから付けられたといわれています。
塔の高さは約15メートル、塔内に安置されている千手観音の胎内には、約6センチメートルの観音が収められています。
その起源は、聖武天皇の皇后である光明皇后が祈願し、聖武天皇が建立した。また、聖武天皇と光明皇后が祈願したところ、孝謙天皇を授かったので、光明皇后が創建したとも伝えられています。(参考①)
現在の塔は、平成の大改修における解体修理の過程で、明応9年(1500)の墨書が発見されたことから、室町時代後期の再建とされています。
西京祇[祇]園神社[神社]ノ景(国際日本文化研究センター所蔵)
上の写真、仁王門の左に見えるのが移転される前の子安塔で、現在の清水寺警備室辺りにありました。
もう一つの子安(児安)
三重塔
参考①によると、経堂と西門の間に位置する三重塔は、『平家物語』では「児安の塔」の名で登場し、また、『増補清水寺縁起』では、子安の塔として崇拝されたとしています。
参考文献
- 横山正幸『京都清水寺さんけいまんだら』(京都 清水寺)
- 古写真データベース『西京祇[祇]園神社[神社]ノ景』(国際日本文化研究センター)