八坂神社 西楼門

明応6年(1497)再建の西楼門

八坂神社は、「素戔嗚尊(すさのおのみこと)」を主祭神とする神社です。

慶応4年(1868)明治政府より発布された神仏分離令により、「八坂神社」と改称するまでは「感神院」、または「祇園社」といい、インド祇園精舎の守護神「牛頭天王(ごずてんのう)」をお祀りしていました。「祇園神」「祇園大明神」とも呼ばれ、神道と仏教が結びついた神仏習合の思想ではスサノオと同一の神とみなしていました。また、その思想の一つである本地垂迹(※)では、スサノオの本地仏を薬師如来としていました。

(※)
(ほんじすいじゃく)神道の神々(垂迹)は、仏教の仏(本地)が人々を救うための仮の姿であるというもの。

その起源は、

  • 斉明天皇2年(656)高麗より来朝した使節の伊利之(いりし)が、新羅国の牛頭山に降臨した素戔嗚尊をこの地に祀った。
  • 貞観18年(876)南都の僧円如が建立した観慶寺が始まりで、堂には薬師千手などの像が祀られ、その年の6月14日、天神(祇園神)がこの地(祇園林)に降臨した。(参考③)
  • 貞観11年(869)常住寺の僧円如が播磨国広峰に降臨した牛頭天王をこの地に遷座した。
  • 天長6年(829)紀百継(きのももつぐ)がこの地を賜り、神の祭祀の場所としたことで、それが感神院の始まりとなった。(※)

など諸説あり、興福寺や延暦寺の管理下(※)に置かれていたことや、神仏分離の影響を受け、増えた(変化した)と推測されます。

(※)
当初は興福寺に属していましたが、天延2年(974)観慶寺の子院「感神院」が延暦寺別院となっています。

永保元年(1081)行円(※)が感神院執行となり、明治政府により神職の世襲制が廃止されるまでの間、その子孫が感神院執行の職を継いでいきました。

(※)
百継は渡来人「八坂造(やさかのみやつこ)」の娘を妻にして八坂造家を継承し、行円はその一族の後裔としている。『八坂神社由緒略記』二、由緒 創祀より

疫病退散を祈願する祇園祭

平安遷都後、疫病が度々発生したことから、人々はその原因を怨霊や祟り神の仕業と考え、疫病を鎮めるための催し「御霊会(ごりょうえ)」が行われます。

「祇園祭」の前身である「祇園御霊会」は、貞観11年(869)平安京の庭園である神泉苑に当時の国の数である66本の鉾を立て、祟り神とされていた祇園神を祀り、さらに神輿を神泉苑に送って、その災厄が鎮まるように祈願したのが始まりとされています。

現在の祇園祭は、毎年7月1日の吉符入りの行事から31日の疫神社夏越祭の神事まで1ヶ月に渡り、各種行事や神事が行われます。

八坂神社 本殿と茅の輪

本殿横に置かれた茅の輪

コロナ禍

八坂神社 疫神社と茅の輪

疫神社と茅の輪

新型コロナウイルス感染症(COVID​-19)の流行により、2020年3月より本殿横に茅の輪(上の写真)が置かれています。大祓(夏越の祓)や疫神社夏越祭以外の時期に茅の輪が置かれたのは、記録によればコレラが流行した明治10年(1877)以来(※)で143年ぶりとなります。

(※)
明治10年(1877)2月に西南戦争が勃発。9月16日、政府軍の中からコレラが発生。同月24日に戦争は終結するが、戦地から輸送艦で凱旋してきた兵士の間で感染が拡大。検疫官が兵士の上陸を阻止しようするが失敗、関西地方一帯にコレラが広がった。(参考④)

本殿

現在の本殿は、承応3年(1654)徳川4代将軍家綱によって再建されたものです。独立した本殿と拝殿を屋根で覆った造りになっており、これを祇園造(八坂造)と呼んでいます。

祭神

中御座 素戔嗚尊

東御座 櫛稲田姫命(くしいなだひめのみこと)
御同座 神大市比売命(かむおおいちひめのみこと)・佐美良比売命(さみらひめのみこと)

西御座 八柱御子神(やはしらのみこがみ・総称)
八島篠見神(やしまじぬみのかみ)・五十猛神(いたけるのかみ)・大屋比売神(おおやひめのかみ)・抓津比売神(つまつひめのかみ)・大年神(おおとしのかみ)・宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)・大屋毘古神(おおやびこのかみ)・須勢理毘売命(すせりびめのみこと)

傍御座 稲田宮主須賀之八耳神(いなだのみやぬしすがのやつみみのかみ)

東御座と御同座はスサノオの妻、西御座はスサノオの子、傍御座はクシナダヒメの両親(アシナヅチ・テナヅチ)です。

出雲神話「八俣の大蛇(ヤマタノオロチ)」

日本最古の歴史書『古事記』・最古の正史『日本書紀』に記されている内容はほぼ同じで、

高天原(たかまのはら)を追放され、出雲に降り立ったスサノオは、泣いている娘と老夫婦に出会いました。彼らの話によると、ヤマタノオロチという頭が8つある大蛇が毎年娘を食べるので、8人いた娘がクシナダヒメだけとなってしまったといいます。これを聞いたスサノオはクシナダヒメとの結婚を条件にヤマタノオロチを退治し、クシナダヒメを妻としました。

また、スサノオは、ヤマタノオロチの尾から出てきた剣をアマテラスに献上しますが、これが後に三種の神器の一つ「天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)」となります。

石鳥居と南楼門

八坂神社 石鳥居と南楼門

石鳥居は、正保3年(1646)に建てられたもので、寛文2年(1662)の地震で倒壊しますが、同6年に補修再建されました。

南楼門は、八坂神社の正門です。慶応2年(1866)に焼失しますが、明治12年(1879)に再建されました。

参考文献
  1. 八坂神社社務所『八坂神社由緒略記(改訂版)』(平成二十五年第二版発行)
  2. 『都名所図会』
  3. スサノヲと祇園社祭神 - 鈴木耕太朗(PDF)
  4. 酒井シヅ『病が語る日本史』
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