本願寺山科別院(山科御坊)の歴史

伏見稲荷大社
目次
  1. 歴史
  2. 伏見稲荷の本殿と祭神
  3. 鳥居の奉納とお塚信仰
  4. 千本鳥居とは
  5. 秀吉寄進の楼門
  6. お山めぐりの所要時間
  7. 参考文献

この地は以前、本願寺中興の祖である本願寺第8世蓮如(1415-1499)が創建した山科本願寺がありました。寺領は広大で、周辺には集落が点在し、堀や土塁を築いて城郭都市のような様相を呈していたとされていますが、 天文元年(1532)近江国守護の六角定頼と法華一揆衆に攻め込まれ焼失してしまいます。

京を追われた教団は、大坂にあった石山御坊を石山本願寺と改め本拠とし、天正19年(1591)には京都堀川に移りますが、江戸時代初頭に分裂。後に堀川は西本願寺、烏丸六条は東本願寺と通称されるようになります。

慶安3年(1650)には、本願寺が所有していた山科本願寺の旧跡地の所有をめぐって相論が起こり、奉行所の裁定を仰ぐことになりますが、どちらの所有も認められず、旧跡地は奉行所の預かりとなりました。その後も旧跡地が戻されることはなかったため、東西両派は、旧跡地の近くにそれぞれ御坊(別院)を建立し、山科本願寺を再興することにします。

西本願寺は、享保17年(1732)御廟所の東側に北山別院の旧堂を移築して御坊を造営し、聖水山舞楽寺と名付けました。正式名称は「浄土真宗本願寺派山科別院」、通称「西別院」「西御坊」と呼ばれています。

東本願寺も享保17年(1732)御坊建立に取り掛かかりますが、買い取った土地が狭かったために断念、元文元年(1736)御廟所の北側に京都の東本願寺寺内にあった長福寺を移築、御坊を造営しました。正式名称は「真宗大谷派山科別院長福寺」といいます。

伏見稲荷の本殿と祭神

本殿は明応元年(1492)に造営されたもので、三ヶ峰に祀られていた三柱の神を祭神としていました。

三柱の神

宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ)
須佐之男命(すさのおのみこと)と神大市比売(かむおおいちひめ)から生まれた神で、兄の大年神とともに穀物を司る神とされています。
佐田彦大神(さたひこのおおかみ)
天照大神(あまてらすおおみかみ)の孫の邇邇芸命(ににぎのみこと)が高天原(天)から葦原中国(地上)に降りる際、天の八衢(やちまた)で邇邇芸命を待っていた地上の神で、葦原中国までの道案内をしました。
大宮能売大神(おおみやのめのおおかみ)
宮殿に仕え、言葉によって恵みをもたらすとされる『延喜式』の祝詞に登場する女神です。

現在、三ヶ峰に社殿はありませんが、かつて祭神が祀られていた場所を神蹟(※)とし、下社神蹟(三ノ峰)には宇迦之御魂神、中社神蹟(二ノ峰)には佐田彦神、上社神蹟(一ノ峰)には大宮能売神が祀られていたと考えられています。また、各末社には、「阿古町(あこまち)」(下社)、「黒烏(くろを)」(中社)、「小薄(おすすき)」(上社)といった固有の名前を持つ、稲荷神の神使(眷属)である白狐(びゃっこ)が祀られ、後に「命婦(みょうぶ)」という官位が授けられています。

(※)
全部で7箇所(下社・中社・上社・長者社・荷田社・田中社・御膳谷)あり、明治時代にその場所を確定し、標石が建てられました。

明応8年(1499)より、三柱の神に田中神と四大神を加えれ、現在は五柱の神が本殿で祀られています。

田中大神(たなかのおおかみ)
田を司る神とされ、下社の摂社に祀られていました。
四大神(しのおおかみ)
参考③によると、その名の通り、四座の神が祀られていると推測されるが、詳細は不明とされています。
但し、同じ秦氏ゆかりの松尾大社には「四大神社(しのおおかみのやしろ)」があります。祭神を春若年神、夏高津日神、秋比売神、冬年神とし、社内の案内板には、"四季折々の神々で年中平安をお守り下さる神"と記されています。

元禄7年(1694)江戸幕府の寄進により、本殿正面に「向拝大唐破風」が付けられ、昭和36年(1961)には本殿手前に内拝殿が造営されました。尚、本殿の「向拝大唐破風」は内拝殿に付け替えられました。

本殿と内拝殿

(右)本殿(左)内拝殿

千本鳥居とは

伏見稲荷 千本鳥居

奥宮から奥社奉拝所までの鳥居の参道の中での二筋に分かれている場所を「千本鳥居」(※)といいます。

(※)
参考文献①"この間に千本鳥居と称して崇敬者の奉納になる鳥居がまるでトンネルとなっている二筋に分かれた参道があるが"を根拠にしています。

秀吉寄進の楼門

伏見稲荷 楼門

豊臣秀吉が母の病気平癒の祈願を稲荷神社に依頼したところ、成就したため、秀吉からの寄進があり、楼門はその寄進によって造営さたものです。

昭和48年(1973)に解体修理が行われた際、天正17年(1589)の墨書が発見されており、造営時期の裏付けが取れました。

参考文献
  1. 山科本願寺・寺内町(ファイル名:p38-39.pdf サイズ:1.82 メガバイト)(PDF)
  2. 本願寺山科別院について