疫神社(蘇民将来社)

疫神社(蘇民将来社)

疫神社(えきじんじゃ)は、蘇民将来(そみんしょうらい)を祀る社です。

元は蘇民将来社という名で、西楼門外にありましたが、明治維新後に絵馬舎の西、大正2年(1913)に現在の場所へ移されました。

茅の輪くぐり

『釈日本記』にある『備後国風土記』の逸文によると、

旅に出ていた武塔神は、日暮れになったので、その土地に住む兄弟に宿を求めます。弟の巨旦将来(こたんしようらい)は裕福でしたが断わり、兄の蘇民将来は貧しくても栗飯などで精一杯もてなしました。

後年、八柱の御子を連れて再訪した武塔神は、蘇民将来にかつて受けた恩に報いたいといい、また、家族はいるかと尋ねました。蘇民将来は妻子がいると答えると、武塔神から茅の輪を腰の上に付けるよういわれ、蘇民将来は娘に茅の輪を付けました。

"その夜になり、武塔神と八柱の御子が蘇民将来の娘だけを残し悉く滅ぼして"(参考③)、こう言います。

「我はスサノオである。今後、疫病が流行しても『蘇民将来の子孫なり』といって、茅の輪を腰に付ければ、その災厄から免れることができるだろう。」

この故事に因み、6月末の大祓(夏越の祓)の神事では境内に茅の輪が置かれ、参拝者は茅の輪をくぐり無病息災を祈願しています。

祇園祭と疫神社

祇園祭は、疫病を鎮めるための催し「御霊会(ごりょうえ)」を起源とすることから、「蘇民将来子孫也」と記された護符を身に付け、祭りに奉仕します。

疫神社夏越祭は、祇園祭の閉めとなる神事で7月31日に執り行われます。疫神社の前にある鳥居に茅の輪が置かれ、参拝者は茅の輪をくぐって疫病退散を祈願し、「蘇民将来子孫也」と記された護符を授かります。

コロナ禍

疫神社と茅の輪

新型コロナウイルス感染症(COVID​-19)の流行により、2020年3月より本殿横に茅の輪が置かれています。大祓(夏越の祓)や疫神社夏越祭以外の時期に茅の輪が置かれたのは、記録によればコレラが流行した明治10年(1877)以来(※)で143年ぶりとなりました。

(※)
明治10年(1877)2月に西南戦争が勃発。9月16日、政府軍の中からコレラが発生。同月24日に戦争は終結するが、戦地から輸送艦で凱旋してきた兵士の間で感染が拡大。検疫官が兵士の上陸を阻止しようするが失敗、関西地方一帯にコレラが広がった。(参考④)
参考文献
  1. 平凡社『京都・山城寺院神社大事典』
  2. 八坂神社社務所『八坂神社由緒略記(改訂版)』(平成二十五年第二版発行)
  3. スサノヲと祇園社祭神 - 鈴木耕太朗(PDF)
  4. 酒井シヅ『病が語る日本史』