金閣寺の見どころ・解説
浄蔵貴所塔
加持祈祷に優れた天台宗の僧、浄蔵(891-964)の供養塔で、金閣寺境内の整備に伴い、人目の付く場所に移設されました。
"この塔にお参りすると浄蔵の不思議な力によって願いが叶うとされている。"(現地の解説)
金閣(舎利殿)と葦原島
金閣の左にある島が葦原島
金閣は、昭和30年(1955)に再建された三層の木像建造物です。二層と三層に金箔が貼られていることから、金閣と通称されています。舎利殿とは、仏舎利(釈迦の遺骨)を安置する建物のことで、三層に安置されています。
鏡湖池の中で最大の島は「豊葦原瑞穂国(※)」から「葦原島」と呼ばれており、当時の日本の国土をかたどったものとされています。
- (※)
- (とよあしはらのみずほのくに)日本国の美称
方丈
参考①の「金閣寺 年表」によると、"一六七三 延宝元 文雅慶彦が後水尾上皇の援助を受けて方丈を修造。"とあります。
通常非公開ですが、方丈の特別拝観が開催中の場合、唐門の扉が開き、そこから方丈へ向かいます。
陸舟の松
義満の盆栽から移植されたと伝わる松の古木で、松が帆船の形に仕上げられていることに因み「陸舟(りくしゅう・おかふね)の松」と名付けられました。
榊雲(春日社)
『黒川翠山撮影写真資料』(京都府立京都学・歴彩館)
榊雲(しんうん)は、鎮守である春日大明神をお祀りする社です。
参考②には、"貞享年間(一六八四-八八)に中興の祖ともいうべき雅文が大書院・小書院・鐘楼・鎮守等を再建し、"とあります。但し、文雅慶彦(ぶんがけいげん)を雅文としていたり、著者調べですが、他の文献で同様の記載がないので注意が必要です。
正面に売店があるため、斜めからしか確認することが出来ません。混雑していると社の存在に気付かずに通りすぎる事もあるかと思います。
銀河泉(ぎんがせん)
足利義満がお茶に用いたと伝わる水が湧き出ています。
巖下水(がんかすい)
足利義満が手洗いに用いたと伝えられています。
龍門滝(りゅうもんのたき)
鏡湖池と安民沢の間にある高さ2.3メートルの滝で、北山第(西園寺)の遺構とされています。
安民沢(あんみんたく)
鏡湖池から北の一段高くなったところにある池で、北山第(西園寺)の遺構とされています。
夕佳亭(せっかてい)
寛永年中(1624-1644)茶道家の金森宗和に造らせた茶席を起源としています。現在の建物は、明治7年(1874)に再建されたものです。平成9年(1997)に解体修理が行われました。
"夕日に映える金閣が殊に佳(よろし)いことから"(参考①)、夕佳亭(せっかてい)と名付けられました。殊(こと)は、「とりわけ」「特別」という意味です。
貴人榻(きじんとう)
身分の高い人が座る腰掛石で、室町幕府より移設されました。
富士型手水鉢
室町幕府8代将軍足利義政の遺愛の手水鉢と伝えられています。
不動釜茶所
屋内・屋外お好みの場所で、抹茶と菓子を楽しむことが出来ます。
不動堂
天正年間(1573-1592)宇喜多秀家によって再建されたものです。
空海作と伝わる本尊の石造りの不動明王立像は、寺伝によると、首から上の病気、特に眼病にご利益があるといわれています。
荼枳尼天(ダキニテン)
荼枳尼天をお祀りする社です。
参拝すると、"皆さまの繁栄を御加護くださいます。"(現地の解説)
参考文献
- 有馬頼底・梅原猛『新版 古寺巡礼 京都 第21巻 金閣寺』(淡交社)
- 平凡社『京都・山城寺院神社大事典』
- 『黒川翠山撮影写真資料』京都府立京都学・歴彩館 デジタルアーカイブ