浄蔵貴所塔
加持祈祷に優れた天台宗の僧、浄蔵(891-964)の供養塔です。以前は、浄蔵の墓という呼称で、拝観受付から最初にくぐる門の手前にありましたが、境内の整備に伴い、門の奥(新参拝路)に移設されました。
現地の説明には、"この塔にお参りすると浄蔵の不思議な力によって願いが叶うとされている。"と記されています。
新参拝路
新参拝路は、江戸時代の絵図『北山鹿苑寺絵図』だけに描かれていた鏡湖池南に位置する池跡(※)周辺を整備して新たな参拝路にし、行き止まりだった鏡湖池南の金閣正面が望める通路と繋げたものです。
- (※)
- 池跡は東西約76メートル、南北約45メートルほどあり、"発掘した市埋蔵文化財研究は、「義満は突然亡くなったため、北山殿を使ったのは10年ほどしかなかった。一定の形はできていたが、水を張るところまでたどり着かず未完成の池だったのではないか」としている。"(参考①)
尚、令和2年(2020)3月11日には、新参拝路の完成を記念した式典が行わています。
浄蔵貴所の霊験譚
菅原道真の死後、不幸な出来事や天変地異が立て続けに起こったため、これらは道真の祟りであるとの噂が広がります。延喜9年(909)道真と対立した藤原時平も病に倒れ、公家で漢学者の三善清行は、息子の浄蔵に加持祈祷を頼みます。すると、時平の耳から道真の化身と称する蛇(竜)が現れ、祈祷を止めるように言い聞かせます。祈祷を断念し、親子が屋敷から退去してからほどなくして、時平は39歳の若さで亡くなりました。
『扶桑略記(ふそうりゃっき)』(『浄蔵伝』からの引用)
延喜18年(918)清行の死を聞いた浄蔵は、熊野参詣から急ぎ戻ると、父の柩を運んだ一行と一条通の堀川に架かる橋の上で出会います。柩にすがり悲しむと、清行が一時的に生き返り、以来、その橋は「戻橋(一条戻橋)」と呼ばれるようになりました。
天暦2年(948)法観寺の五重塔(八坂の塔)が西に傾きますが、浄蔵の加持祈祷により元に戻ったとされています。また、天徳4年(960)には、五重塔の南西に位置する「八坂庚申堂(やさかこうしんどう)」(正式名称は「金剛寺」)を建立したと伝えられています。
幻の池跡