平安神宮 応天門

応天門

平安神宮は、平安遷都を行われた桓武天皇と平安京において最後に崩御された孝明天皇を祭神とする神社です。

東京奠都により京都の空洞化が進んでいたことから、その対策として桓武天皇の平安遷都から1100年を記念(※)して行う祭典「平安奠都千百年紀念祭」の開催と、第4回内国勧業博覧会の誘致が行われます。その象徴として、平安宮の正庁である朝堂院を模した平安神宮の造営が計画されます。

(※)
平安遷都は794年ですが、開催が1895年となったため、「桓武天皇が平安遷都から大極殿で最初の正月の拝賀を受けた年から1100年目を記念する」という名目になります。

建設地となった岡崎は、幕末は各藩の屋敷が建ち並んでいましたが、この頃には水田とカブ畑が広がる田園地帯となっており、祭典に合わせて、道路や宿泊所などが整備されます。

明治23年(1890)琵琶湖の水を京都市に引くために造られた水路「琵琶湖疏水」(※1)が開通します。この水路は第1疎水と呼ばれ、当初の目的は水運でしたが、発電にも利用されることになり、同24年、蹴上発電所が完成。この電力を用いて、明治28年(1895)1月31日、日本初の路面電車(※2)が開通しました。

(※1
明治45年(1912)第2疎水が開通し、琵琶湖の水を飲料水(上水道)として供給する体制が確立されました。
(※2
南神苑には、「日本最古の電車」として当時の車体が保存されています。

明治28年(1895)3月、朝堂院を約8分の5の大きさで復元した社殿が完成します。第4回内国勧業博覧会は4月1日から7月31日まで、紀念祭は10月22日(※)から3日間開催され、会期中、寺社は「特別拝観」として、建物や宝物を一般公開しました。

(※)
延暦13年(794)10月22日、桓武天皇は平安京に入られたことから。

皇紀(※)2600年の節目にあたる昭和15年(1940)に孝明天皇が合祀される事となり、それに合わせて社殿の整備が行われます。東本殿に桓武天皇、西本殿に孝明天皇が祀られ、内拝殿、神楽殿、額堂といった建物は、この時期に造営されました。

(※)
太陰太陽暦(天保暦)から太陽暦(現在使われているグレゴリオ暦)への改暦とともに導入された紀年法(ある地点を紀元と定め、年を数える方法)で、カムヤマトイワレヒコが大和盆地に橿原宮(かしはらのみや)を造営し、神武天皇として即位された年を元年としています。

昭和51年(1976)放火テロにより、本殿、祝詞殿、内拝殿が焼失。再建は本殿が2棟から1棟になるなど、放火前と異なるところもありますが、3年後に完了しました。

時代祭

紀念祭の余興として、翌日の25日に行われた「時代行列」を起源としています。

明治維新から平安時代までの各時代の衣装を纏った行列が、京都御所から平安神宮まで行進するもので、‘京都が日本の首都として千有余年にわたって培ってきた伝統工芸技術の粋を動く歴史風俗絵巻として内外に披露することを主眼’(※)とし、紀念祭の翌年より、毎年10月22日に行われています。

(※)
平安講社本部発行『時代祭』より

神苑

泰平閣(橋殿)

泰平閣(橋殿)

琵琶湖疏水からの水を引き入れることによって作られた、約3万平方メートルからなる池泉回遊式の庭園です。

西神苑、中神苑、南神苑は創建時からのもので、東神苑は明治末期から大正初期にかけて作庭されました。東神苑の泰平閣と尚美館は、京都御苑で開催されていた京都博覧会の建物を移築したものです。

大鳥居

高さ約24メートル、幅約18メートル、鉄筋コンクリート及び鉄骨造りの明神鳥居で、昭和3年(1928)昭和天皇の即位の礼を記念して造営が始められ、翌年に完成しました。

岡崎プロムナード

平成27年(2015)8月末より応天門から大鳥居を繋ぐ神宮道(じんぐうみち)の北側約120メートルは歩行者専用の公園になりました。

参考文献

平安講社本部『時代祭』

都市史29 京都の博覧会 - 京都市

都市史30 平安遷都千百年紀念祭 - 京都市

京都岡崎魅力づくり推進協議会『地図で読む 京都・岡崎年代史』

京都市動物園『みんなの京都市動物園』

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