毘沙門堂の歴史
(手前)唐門(奥)本堂
毘沙門堂(出雲寺)は、天台宗の門跡寺院です。
寺伝によると、大宝3年(703)文武天皇の勅願により、出雲路(京都御所の北)に建立された「出雲寺(いずもじ)」を起源としています。開基は、法相宗の僧「行基」とし、延暦年間に毘沙門天の像が安置されたことから、「毘沙門堂」と通称されています。
いくつかの移転を経て、建久6年(1195)出家した公家の平親範(ちかのり)によって、「平等寺」「尊重寺」「護法寺」を統合する形で元の場所に再建(※)されました。
- (※)
- この創建を起源とする記載もあります。
後に荒廃しますが、天海とその遺志を継いだ公海によって再興が計られ、寛文5年(1665)に幕府から寺領を賜り、現在の地に再建されました。
後西(ごさい)天皇の第6皇子「公弁法親王(こうべんほっしんのう)」が入寺したことで門跡寺院となり、その頃に現在のような寺観に整えられてたといわれています。
本堂
徳川4代将軍家綱が施主となり、寛文6年(1666)に建立されました。本堂の正面にある唐門や仁王門は、同時期に建立されたものです。
本尊の毘沙門天の像は、天台宗の総本山「延暦寺」の起源とされる草庵(※)に祀られていた薬師如来の像(※)の余材を使い、最澄自らが彫ったものと伝わっています。
- (※)
- 草庵は、現在の延暦寺東塔の本堂「根本中堂」の前身にあたります。薬師如来の像はその本尊であり、毘沙門天の像と同じく最澄自らが彫ったものとされています。
御修法(みしほ)
御修法とは、桓武天皇の勅願により始められた「天下泰平」「万民豊楽」「玉体安穏」を祈願する儀式(修法)のことで、国家の大事や特別な異変が起こったとき、宮中で行われていたのが「四箇の大法(しかのたいほう)」と呼ばれる儀式です。
明治政府の神仏分離の影響により廃止されますが、大正10年(1921)より、延暦寺の根本中堂に場所を移して再開されています。現在は、毎年4月4日から11日にかけて、四箇の大法を順次執り行っており、これを御修法と呼んでいます。
鎮将夜叉法(ちんじょうやしゃほう)
四箇の大法の一つにあたり、最澄が桓武天皇の第3皇子「葛原親王(くずはらしんのう)」に伝授された秘法で、毘沙門堂の門跡だけに相伝されています。
参考文献
- 比叡山 延暦寺『比叡山 その歴史と文化を訪ねて』(平成13年4月1日 改版)