太鼓楼
時を知らせる太鼓を備える楼閣で、境内の北東隅(※)にあります。
- (※)
- 太鼓楼から北の通りを隔てた土地は、本圀寺の跡地で、近年購入したものです。
宝暦十年(1760)親鸞の五百回忌に際して境内の整備が行われており、現在の太鼓楼は、この頃に建立されたものと考えられています。
慶応元年(1865)3月から、同3年(1867)6月までの間、新選組の屯所として、北集会所と太鼓楼が利用されていました。
北集会所は、太鼓楼の東、阿弥陀堂の北にありましたが、明治元年(1868)亀山本徳寺(兵庫県姫路市)の本堂が消失。解体中だった北集会所を本堂として移築したため、境内にはありませんが、現存しています。
太鼓楼に隣接する門は、御成門(おなりもん)といい、江戸時代後期に建てられたと伝えられています。
御成門
参考文献
- 五木寛之・大谷光真『新版 古寺巡礼 京都 第20巻 西本願寺』(淡交社)