石畳の道
金牛院付近から北総門を望む
この石畳の道は、花園法皇の550年遠忌(※)のために、明治28年(1895)当時管長(宗派を管理する最高責任者)であった匡道慧潭(きょうどうえたん)が私財を投じて造らせたもので、匡道自身も作業に携わりました。
- (※)
- 祥月忌日(しょうつききにち)の法会(故人の亡くなった月日に行われる追善供養のための集会)は、1年後だと一周忌と呼ばれ、2年後になると、亡くなった日を最初の忌日として数え、三回忌となります。五十回忌になると「遠忌(おんき)」となり、以後、50年毎に遠忌が行われます。
参考文献
- 東海大光・長田弘『新版 古寺巡礼 京都 第31巻 妙心寺』(淡交社)