紫宸殿とは
紫宸殿(ししんでん)とは、即位式、節会、朝賀などといった、国家の重要な儀式(大礼)が執り行われていた、内裏の中心をなす建物(正殿)で、江戸城が皇居となった後も、大正・昭和の即位の礼は京都御所で執り行われていました。
総檜造りの建物で、正面の幅は約33メートル、側面は約23メートルあり、檜皮葺の屋根を含めると、正面は約44メートル、側面は約33メートルにも及びます。
紫宸殿前面に広がる白砂の広場は「南庭(だんてい)」といい、西に「右近の橘」東に「左近の桜」が植えられています。(右近・左近と付けらているのは、右近衛府・左近衛府が陣をしき、その陣頭辺りに植えられていたことに因む。)尚、平安京遷都した際には、桜ではなく、梅が植えられていました。(桜になった経緯は諸説あり)
高御座と御帳台
天皇の御座「高御座(たかみくら)」、そのやや右(東)後方に皇后の御座「御帳台(みちょうだい)」が置かれています。現在のものは、大正4年(1915)大正天皇の即位の礼のために造られたもので、上皇陛下の即位の礼の際には、東京都にある皇居宮殿の正殿松の間まで運ばれました。
平成の御代は、平成31年(2019)4月30日で終わり、翌5月1日、皇太子徳仁(なるひと)親王が天皇に即位し、「令和(れいわ)」に改元されました。即位礼正殿の儀は、令和元年10月22日に行われ、高御座、御帳台も京都御所から皇居に運ばれました。
扁額「紫宸殿」
承明門の扁額「承明門」と同じく、岡本保考(※)の筆で、享和3年(1803)に掛けられました。嘉永7年(1854)の京都大火の被害を免れ、内裏再建後も使われています。
- (※)
- 詳しくは、参考①の其の二十「書博士 岡本保考」(6ページ)の項を参照してください。
参考文献
- 《京都》御所と離宮の栞 - 京都御所
- 『京都御所』(財団法人 伝統文化保存協会)