小御所
"小御所は、平安内裏にはなく、治承年間に源頼朝の世子の住居の呼称であったものを、建長三年(一二五一)の再建時に内裏にも採り入れ、造営したものである。"(参考①)
東宮御元服、立太子の儀式、和歌御会始め、御楽始めなどの儀式が執り行われ、江戸時代には幕府の使者や所司代の拝謁もここで行われました。
小御所会議
慶応3年(1868)12月9日、朝廷は王政復古の大号令を発して、天皇による新政府の樹立を宣言。同日、新たに設置された三職により行われた最初の会議がここで開かれたため、「小御所会議」と呼ばれています。
この会議では、徳川慶喜に内大臣の辞職と幕府領の返上(辞官納地)を命じることが決まり、これに反発した旧幕府軍は、京都へ向けて挙兵。翌年1月3日、新政府軍と戦闘になり、戊辰戦争の緒戦となる「鳥羽・伏見の戦い」が起こりました。
鴨川の花火大会により消失
昭和29年(1954)8月16日の五山の送り火に際し"鴨川河川敷で,新聞社主催の花火大会が行われ,落下傘型打上げ花火の残火が檜皮葺屋根に落下し出火し"(参考②)消失。現在の小御所は、昭和33年(1958)に再建されたものです。
参考文献
- 『京都御所』(財団法人 伝統文化保存協会)
- 京都市消防局:昭和29年8月16日 上京区京都御所御苑内小御所炎上