由岐神社 鳥居と割拝殿

鳥居と割拝殿

由岐神社は、大己貴命(オオナムチノミコト)と少彦名命(スクナビコナノミコト)を祭神とする神社です。
天慶3年(940)朱雀天皇によって御所で祀られていた祭神を鞍馬山に遷宮(※1)したのが由岐神社の歴史の始まりとされています。

鞍馬寺の鎮守社であり、天皇が病気の時や世の騒がしき時には、この社に「靫(ゆぎ)」(矢を入れる道具で携行するときに用いられる)をかけた(※2)ため、「靫明神」「靫社」と呼ばれていました。

(※1
『都名所図会』や京都市の駒札には勧請したと記載されています。また、『都名所図会』は、「大己貴命一座」をもって靫明神としています。
(※2
『徒然草』によると、平安時代、勅勘(天皇からのお咎め)を受けた者は、その家の門に「靫(ゆき)」(矢を入れる道具で携行するときに用いられる)をかけ、謹慎する作法があり、天皇が病気の時や世の騒がしき時には、五条の天神(少彦名命)か鞍馬の祭神に靫をかけたとあります。

大己貴命(大国主命)

大己貴命は『古事記』における出雲神話の中心人物で、素戔嗚尊(スサノオノミコト)の子孫にあたります。(かなり省略)素戔嗚尊のいる根の国から逃げ帰るとき、素戔嗚尊から「大国主命(オオクニヌシノミコト)」の名を与えられ、娘の須勢理毘売(スセリビメ)を正妻とすること、「出雲に立派な宮殿」を建てるように言われています。

その後、少彦名命などの協力を得て、国造りに成功しますが、天照大神(アマテラスオオミカミ)の要求により、国を譲ることになります。その条件として建てられたのが大国主命を祀る立派な宮殿となります。

「天日隅宮(あめのひすみのみや)」「杵築大社(きづきのおおやしろ)」などと呼ばれていましたが、明治4年(1871)官弊大社に列せられ、「出雲大社」に改称し、現在に至ります。

鞍馬の火祭り

祭神を遷宮した際の様子(※)を伝える由岐神社(明治初期の神仏分離以前は、鞍馬寺が執り行っていた)の例祭で、毎年10月22日夜に行われています。

(※)
"手には松明を持ち、道々にかがり火を焚き、鉾を先頭に十町(約1km)の大行列による天皇自らの国家的一大儀式でご遷宮されました。"(参考①)

割拝殿(わりはいでん)

由岐神社 割拝殿

割拝殿

慶長12年(1607)豊臣秀頼によって再建されたもので、拝殿の中央から通り抜けることができることから「割拝殿(わりはいでん)」と呼ばれています。他にも本殿が再建されたとの記載がありますが、現存していません。

参考文献
  1. 『由岐神社 御由緒書』(京都鞍馬 由岐神社)
  2. 『都名所図会』
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