元信の庭(方丈の南から)
退蔵院は、臨済宗妙心寺派大本山「妙心寺」山内に46(※)ある塔頭の一つです。妙心寺3世の無因宗因(むいんそういん)に帰依した波多野重道にって、応永11年(1404)に建立されました。
- (※)
- 2019年5月配布のパンフレットより。2012年9月のものには、40余寺と記載されていました。
創建当時、妙心寺は足利義満により寺領を没収され、龍雲寺と名を改め、中絶しており、退蔵院は、千本通松原に建立されました。
日峰宗舜(にっぽうそうしゅん)が妙心寺の再興をはかり、永享4年(1432)妙心寺が返された後、退蔵院は妙心寺山内に移りますが、応仁の乱(1467)により焼失してしまいます。
慶長2年(1597)亀年禅愉 (きねんぜんゆ)によって再興がなされ、現在に至ります。
元信の庭
都林泉名勝図会「退蔵院」(国際日本文化研究センター所蔵)
方丈の西に面した枯山水庭園のことで、室町時代の絵師、狩野元信(かのうもとのぶ)の作庭と伝えられています。寛政11年(1799)に刊行された『都林泉名勝図会』には、"古法眼元信の作なり"と元信が作庭したと断定しています。(法眼とは、仏教における僧位の一つで、古法眼は、法眼に叙せられた元信を指す通称です。)
公式によると、元信が70歳頃に作庭したとあり、生没年は、東京国立博物館のサイトなどに、1477-1559とあることから、1547年頃に造られたことになります。
『都林泉名勝図会』の画像は方丈の西からの景色が描かれていますが、通常拝観時には、方丈の南から庭園を眺めることになります。(尚、Googleマップのストリートビューを使えば、方丈の西からの眺めを楽しむことが出来ます。)
瓢鮎図(ひょうねんず)
室町幕府4代将軍の足利義持の命により、画僧の如拙(じょせつ)が描いた水墨画です。現存する水墨画の中では日本最古のものになります。
この作品は、「小さな瓢箪でいかに鯰(なまず)を捕らえるか」というテーマに基づいて描かれており、その問いに対する答えが図の上部に書かれています。
詳しくは、寄託先の京都国立博物館の解説ページを参照してください。
不思議な絵 ―如拙筆「瓢鮎図」―(ふしぎなえ ―じょせつひつ「ひょうねんず」―) | 京都国立博物館 | Kyoto National Museum
方丈(本堂)
方丈(本堂)
慶長2年(1597)に再建されたもの(※)としています。
- (※)
- 2019年5月配布のパンフレット及び公式サイトの情報。文化庁の国指定文化財等データベースには、慶長7年(1602)との記載あり。
余香苑(よこうえん)
造園家の中根金作(1917-1995)により設計・施工された庭園です。3年の歳月をかけ、昭和40年(1965)に完成しました。
参考文献
- 『都林泉名勝図会』