貴船神社の歴史

貴船神社 本宮 社殿

貴船神社は鞍馬山の麓にある神社で、水神として知られる「高龗神(たかおかみのかみ)」をお祀りしています。

目次
  1. 歴史
  2. 丑の刻参り
  3. 絵馬発祥の地
  4. 附曳神事(ふびきしんじ)
  5. 中宮 結社(ゆいのやしろ)
  6. 参考文献

創建は不詳ですが、社伝によると、第18代反正(はんぜい)天皇の御代(※)に、初代天皇である神武天皇の母「玉依姫」が黄船に乗り、浪速から淀川、加茂川、貴船川とさかのぼり、現在の奥宮(おくのみや)に上陸し、祠を建てたのが貴船神社の始まりと伝えられています。

(※)
反正天皇は、第16代仁徳天皇の皇子で、第17代の履中天皇とは異母兄弟。5世紀前半。

元々は、"樹木の生茂る山林の神としてこの地域の地主神"(参考③)でしたが、賀茂川(鴨川)の水源に祀られていることから、水を司る高龗神、闇龗神または罔象女神(みづはのめ)ともいわれています。日照りや長雨のときには、朝廷より勅使が遣わされ、祈雨、祈晴の儀式が行われていました。

永承元年(1046)水害によって本殿が被災し、天喜3年(1055)現在の本宮に遷座されています。

『延喜式神名帳』には、「貴布禰」と記され、他にも「貴船」「木生根」「氣生根」といった名称があります。当初は独立した神社でしたが、平安末期には上賀茂神社(賀茂別雷神社)の摂社となっています。 明治までは、主にこの「貴布禰」が用いられますが、明治4年(1871)官弊中社に列せられて上賀茂神社から独立、「貴船」の名に定められました。

丑の刻参り

丑の刻参りとは、丑の刻(午前2時頃)に憎い相手に見立てた形代を社寺の御神木に五寸釘で打ち付けて呪うという日本古来の呪いの一種です。

貴船大神が貴船山の中腹の鏡岩に降臨したのが、「丑の年」「丑の月」「丑の日」「丑の刻」であることから、貴船神社に丑の刻に参拝することで心願成就のご利益が高まる信仰があることや、『平家物語』の異本などに記されている、嫉妬に狂った公家の娘が貴船神社に7日間籠り、生きながら鬼になる事を祈願した橋姫の物語などから生まれた儀式と考えられています。

絵馬発祥の地

神馬銅像

古くは祈雨の儀式に黒馬、祈晴の儀式には白馬か赤馬が奉納されていましたが、『類聚符宣抄』(※)の祈雨の項に、天暦2年(948)生馬の代わりに馬の絵を描いた板「板立馬」を貴船神社に奉納したとの記載があります。この板立馬が絵馬の原形と言われていることから、貴船神社は絵馬発祥の地(えまのふるさと)としています。

(※)
(るいじゅうふせんしょう)平安時代の官符・宣旨などの公文書を編集した私的な法令集で、別名『左丞抄』といいます。

附曳神事(ふびきしんじ)

貴船神社 奥宮 本殿

奥宮 本殿(写真右が権地)

奥宮の本殿改修時には、隣接する権地に社殿が移され、龍穴に覆いをして作業が行われます。作業終了後、社殿は元の場所へ戻されます。この一連の神事を附曳神事といいます。

文久3年(1863)の附曳神事では、大工が誤って屋根から鑿(のみ)を龍穴に落としますが、にわかに穴から風が吹き、鑿は元の場所に戻りますが、大工はその後、命を落としてしまうという悲話があります。

平成24年(2012)150年ぶりに附曳神事が行われ、貴船神社が龍穴について言及しています。"さて、気になる龍穴ですが、間違いなく存在しました。ただし、穴の上は分厚い壁土のようなもので蓋が施され、中の様子は秘められたままです。"(参考②)

参考文献
  1. 貴船神社 - ホーム(Facebook)
  2. 社報『氣生根』
  3. 平凡社『京都・山城寺院神社大事典』