法観寺(八坂の塔)の見どころ・解説
法観寺の境内への参拝は、基本的に土日祝日が可能で、その際は五重塔内部にも入る事が出来ます。天候が悪い時などは拝観中止となる場合もあり、拝観時間も午前10時から午後3時までと比較的短いので、開いてたら運が良かったくらいの心持で向かったほうがよいと思います。
塔は2層まで上がることが出来ますが、近くに高層住宅が建てられそうになったときには、景観を守ることの大切さを知ってもらうために、市民に最上階まで上がってもらい、反対運動をしたそうです。
八坂の塔(五重塔)
永享12年(1440)室町幕府6代将軍の足利義教(よしのり)によって再建されたものです。
塔の高さは約46メートルほどあり、東寺(約55メートル)、興福寺(約50メートル)に次いで、国内の木造の五重塔で法観寺のものは3番目の高さになります。
元和4年(1618)京都所司代の板倉勝重が修理を監修し、第一層は勝重自身が、他は諸国勧進により修復されました。また、寛文3年(1663)、寛政11年(1799)、大正年間にも修理が行われています。(参考②)
大日如来と阿弥陀如来
本尊は金剛界五仏(五智如来)ですが、本来、中心に置かれるはずの大日如来は、西方の阿弥陀如来と同じ位置に置かれており、阿弥陀如来はその上部に配置されています。
太子堂と薬師堂
太子堂
太子堂と薬師堂は、江戸初期に門前の住人の寄進により再建されたものです。
太子堂は聖徳太子三歳像及び同十六歳像、薬師堂には本尊の薬師如来、日光・月光菩薩、十二神将及び夢見地蔵尊が安置されています。
薬師堂
木曽義仲首塚(朝日塚)と延喜式八坂墓
木曽義仲首塚(朝日塚)
中央奥にある小さな石造りの供養塔は、木曽義仲首塚(朝日塚)と呼ばれ、元は高台寺近くにあったものです。現在は、法観寺の境内に移され供養されています。
木曽義仲は、平家の軍勢を京都から追い出し、朝日将軍と呼ばれるほどに期待されますが、後白河法皇と不仲となって、同じ源氏の頼朝と対立することになり、頼朝により派遣された範頼と義経の軍勢に宇治川で敗れ、敗走中、近江国(滋賀県)粟津にて討ち取られました。
義仲の首は、京都の東獄門に晒されますが、京都に残った義仲の家来によって葬られ、朝日塚と呼ばれるようになりました。
延喜式八坂墓
延喜式八坂墓の石碑の隣にある石造りの供養塔は、光孝天皇(830-887)の外祖母である藤原数子の墓といわれています。
参考文献
- 森谷尅久『 地名で読む京の町(下)洛東・洛北・洛南編 』(PHP新書)
- 平凡社『京都・山城寺院神社大事典』
- HI093 延喜式八坂墓 - 京都市