二条殿と本能寺の変

二条殿 本能寺の変二条殿は、織田信長が五摂家である二条家の邸宅を譲り受け、自らの宿泊所としたものです。

天正7年(1579)誠仁(さねひと)親王に二条殿を献上し、天正10年(1582)6月2日、本能寺(※)を宿としていた信長は、明智光秀から寝込みを襲われたため、寺に火を放ち自害します。これを「本能寺の変」といいます。

信長の後継者である信忠は、本能寺から少し離れた妙覚寺を宿にしていたため、近くの二条殿に篭城します。誠仁親王は難を逃れますが、信忠は二条殿で自害しました。

その後、妙覚寺は天正11年(1583)、本能寺は天正20年(1593)豊臣秀吉の命により移転しました。

last update