清水寺 轟門(中門)

轟門(中門)

清水寺の中門は、寛永8年から10年(1631-1633)に再建された三間一戸の八脚門で、轟門とも呼ばれています。その前の小さな橋は轟橋といい、延宝7年(1679)奥州仙台の及川久兵衛の寄進により造られました。

扁額「普門閣」

扁額「普門閣」は、曹洞宗の僧「月舟宗胡(げっしゅうそうこ)」が千手観音を本尊とする本堂に奉納したものです。

『観音経』には、観世音菩薩(観音)は、衆生を救うために三十三の姿に身を変えると説かれおり、これを「普門示現」といいます。そして、本堂は観音堂であることから「普門閣」としたと推察されます。

署名は、「天和三癸亥孟春 月舟書 印 印」

清水寺 朝倉堂

清水寺 朝倉堂

朝倉堂は、永正7年(1510)越前朝倉氏の9代目当主、朝倉貞景らの寄進よって建立された法華三昧堂を起源とする堂です。寄進者の氏名(姓)から朝倉堂と呼ばれています。

創建時は、清水寺の本堂と同じ懸造りの建物であったとされていまますが、寛永6年(1629)の火災により消失。その後、整地(※)が行われ、平地に建てられました。

(※)
消失した堂の下から石棺が出土し、その中から金色の千手観音像が発見されました。現在、その千手観音は成就院の持仏堂に安置されています。

本尊の千手観音像、西国三十三所観音像の他に、明治政府の神仏分離令により地主権現社(現在の地主神社)で祀ることができなくなった文殊菩薩像や廃絶した塔頭・子院の仏像なども安置されています。

参考文献
  1. 横山正幸『京都清水寺さんけいまんだら』(京都 清水寺)
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