善光寺堂
善光寺堂の前身は、地蔵菩薩を本尊とする「地蔵院」で、創建は、建武2年(1335)と伝えられています。いつの頃からか如意輪観音を中尊とし、洛陽三十三観音第十番札所として信仰を集めようになります。
明治の中頃には、奥の院南庭にあった「善光寺如来堂」と合併し、「善光寺堂」と呼ばれるようになりした。
現在の堂は、昭和59年(1984)に改築されたもので、中央に如意輪観音坐像、向かって右に善光寺阿弥陀三尊像、左には地蔵菩薩立像が安置されています。
首振り地蔵
江戸時代、祇園の上客である旦那衆と芸妓(※1)との間を上手に取り持った、幇間(※2)の鳥羽八が慕われて、地蔵の姿で祀られたと伝えられています。
また、鳥羽八が借金で首が回らなくなって亡くなったため、その供養ために首が回るように作られたともいわれています。(インターネット上に散見する情報ですが、出所は不詳。 参考②に詳しく書かれていましたが、京都新聞のウェブサイトが2019年10月7日にリニューアルされたため、記事の参照が出来なくなっています。)
厨子の格子戸の前に置かれている地蔵は2代目で、初代は戸の中に安置されています。
- (※1)
- (げいぎ)宴席で芸を披露して座を盛り上げ、客の接待をする女芸者、または芸子のこと。
- (※2)
- (ほうかん)宴席で客の機嫌をとりつつ、芸妓を助け、ときに芸を披露して座を取り持つ男芸者。太鼓持ちとも。
参考①には、"自分の恋慕う人が住む方向に首を振り向けて祈願すると、思いが叶う"、また、駒札には、"願い事のある方向に首をまわして拝めば願いが叶えられる"とあります。
参考文献
- 横山正幸『京都清水寺さんけいまんだら』(京都 清水寺)
- 京都新聞|ふるさと昔語り(122)首振地蔵(京都市東山区)借金苦の幇間供養