善光寺 本堂

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善光寺の歴史

善光寺は、特定の宗派に属さない特別な寺院(単立寺院)で、天台宗と浄土宗に属する寺院によって運営されています。
浄土宗側の本坊である大本願は、創建当初からの尼寺であり、皇室関係者が代々上人(住職)を務め、天台宗側の本坊である大勧進の貫主(住職)と共に、善光寺の住職としています。

善光寺縁起によると、本尊の一光三尊阿弥陀如来(善光寺如来)は、欽明天皇期における仏教公伝の際に、百済の聖明王より献上された仏像で、当初は奈良の向原寺に祀られていましたが、後に疫病が発生したため、廃仏派の人々によって寺は焼かれ、仏像は難波の堀江に破棄されます。
その後、信濃国司に従い都へやってきた、本田善光によって信濃国に運ばれ、皇極天皇元年(642)現在の地に遷座します。皇極天皇3年(644)皇極天皇の勅願により伽藍が造営され、寺名は本田善光の名から善光寺としました。

文禄5年(1596)の慶長伏見地震により、豊臣秀吉が発願とされる方広寺の大仏が倒壊し、秀吉は大仏の代わりに善光寺の本尊を遷座しますが、翌年秀吉が病に臥したため、善光寺に戻されます。

本堂(国宝)は、宝永4年(1707)に建立されたもので、高さは約30メートルあり、内陣には、秘仏とされる本尊の他に、本田善光と妻の弥生、子である善佐の像が安置されています。
山門(重文)は、寛延3年(1750)に建立され、高さは約20メートルあります。善光寺と書かれた扁額は、中御門天皇の第二皇子で、天台宗座主の公遵法親王によって書かれたものです。

善光寺の画像


山門(三門)

本堂

山門と仲見世通り

本堂(山門から)

仁王門と仁王像

大勧進

山門
last update
2012-10-31