平等院の歴史

平等院

鳳凰堂(阿弥陀堂)

平等院は、貞観元年(859)嵯峨天皇の皇子「源融(みなもとのとおる)」が築いた別荘「宇治院」を起源とする寺院です。

長徳4年(998)宇治院は、藤原道長が譲り受け、「宇治殿」と呼ばれるようになり、道長亡き後は、子の藤原頼通が所有しました。永承7年(1052)頼通は宇治殿に本堂を建立し、寺号「平等院」とする寺院へと改めます。

鳳凰堂 尾廊・中堂・北翼廊・反橋

(右から)尾廊・中堂・北翼廊・反橋

鳳凰堂は、本尊の阿弥陀如来坐像を安置する中堂、左右の翼廊、背後の尾廊からなる建物で、天喜元年(1053)に建立されました。
正しくは「阿弥陀堂」といいますが、江戸時代から左右の回廊を両翼、背後の尾廊を尾とみなし、中堂の屋根の上に鳳凰があることから、阿弥陀堂は鳳凰を象ったものであるされ、「鳳凰堂」と呼ばれるようになり、この呼称が定着しました。尚、国宝の指定の名称も「平等院鳳凰堂」で登録されています。
鳳凰堂とその全面に広がる阿字池(あじいけ)は、極楽浄土(阿弥陀仏の世界)を再現したもので、浄土庭園と呼ばれています。

創建時は天台宗の寺院でしたが、明応9年(1500)浄土宗の城誉栄久により伽藍の修理が行われ、これにより浄土院といった浄土宗の塔頭が建てられ、平等院は浄土宗を兼ねることになります。

宗派間の対立もあり、天和元年(1681)"寺社奉行により平等院は「天台・浄土両宗により護持、修理は交替、平等院の名称は一山の総称」など"(参考①)とする裁定が下されています。尚、現在は特定の宗派に属さない単立寺院となっています。

平成修理

平成修理後の平等院 鳳凰堂

修理後

鳳凰堂は、平成24年(2012)6月から平成26年(2014)9月までの28ヶ月間、"屋根と塗装を中心とする修理"(参考②)が行われました。修理期間中は建物全体が素屋根で覆われ、平成26年3月に中堂・翼廊の工事を完了させて尾廊以外の素屋根を解体。同年9月に尾廊の工事も完了し、建物全ての拝観が可能となりました。

修理前の平等院 鳳凰堂

修理前

十円硬貨と一万円紙幣の図柄

平等院鳳凰堂は、昭和34年(1959)から日本銀行が発行している十円青銅貨幣の表の図柄として利用されています。

鳳凰像(※)は、平成16年(2004)11月1日から日本銀行が発行している一万円券(一万円紙幣)の裏の図柄として使われていますが、令和6(2024)年度上期に予定されている新一万円券の発行により、東京駅(丸の内駅舎)に変更されます。(表は、福沢諭吉から渋沢栄一になります。)

(※)
中堂の屋根の上にある鳳凰像は複製されたもので、真物は鳳翔館に展示されています。

鳳翔館(ほうしょうかん)

平成13年(2001)に開館した博物館で、建築家の栗生明(くりゅうあきら)によって設計されました。

参考文献
  1. 神居文彰・志村ふくみ『新版 古寺巡礼 京都 第13巻 平等院』(淡交社)
  2. 島田豊『平等院鳳凰堂の平成修理』- J-Stage(PDF)
  3. 新しい日本銀行券及び五百円貨幣を発行します : 財務省