金閣寺 舎利殿

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金閣寺の歴史

金閣寺とは舎利殿「金閣」からきた通称で、正式名称は鹿苑寺といい、臨済宗相国寺派大本山である相国寺の塔頭寺院です。

その起源は、将軍職を辞した室町幕府の3代将軍である足利義満(1358-1408)が、応永4年(1397)に西園寺家の山荘「北山第」(※1)を譲り受け、新たに舎利殿を中心とした山荘「北山殿」を造営したことに始まります。
義満は出家後も政治の実権を握っていたため、義満が北山殿に移ると、政治の中心も北山殿に移り、後に北山文化と呼ばれる新しい文化が発達していきます。

応永15年(1408)に義満は没し、遺命により北山殿は禅寺となります。寺号は、義満の法号「鹿苑寺殿」に因み「鹿苑寺」と名付けられました。
文明14年(1482)には、8代将軍である義政が北山殿にならい、東山に東山殿を造営しています。義政の死後に禅寺「慈照寺」とされ、後に銀閣寺とも呼ばれるようになります。

応仁の乱で多くの伽藍が焼失し、唯一創建当初の建物であった舎利殿(金閣)は、昭和25年(1950)の放火により全焼、昭和30年(1955)に再建されましたが、国宝の指定からは外されました。

現存する最も古い建造物は、天正年間(1573-1592)、五大老の一人である宇喜多秀家が再建したとされる不動堂です。

舎利殿(金閣)
三層の楼閣で、一層の法水院(ほっすいいん)は、池に突き出た漱清(釣殿)を持つ寝殿造、二層の潮音洞(ちょうおんどう)は書院造、三層の究竟頂(くっきょうちょう)は禅宗様(唐様)で、宝形造・柿葺の屋根には、鳳凰が飾られています。
以前は、二層に義満の筆で「潮音洞」、三層には後小松天皇の筆で「究竟頂」の扁額がかけられ、二層には観音像、三層には阿弥陀三尊と二十五菩薩が安置されていました。現在は、一層に義満公像と宝冠釈迦如来像が、二層に岩屋観音坐像と四天王像、三層に仏舎利が安置されています。
(※1
藤原公経(1171-1244)が北山に建立した西園寺を起源とする山荘で、西園寺家の家名もこれに因んでいます。

金閣寺の画像


舎利殿

舎利殿と鏡湖池

舎利殿

舎利殿

舎利殿

舎利殿

陸舟の松

舎利殿

夕佳亭(せっかてい)

夕佳亭

龍門滝と鯉魚石

不動堂

安民沢と白蛇の塚

富士型手水鉢

銀河泉

厳下水(がんかすい)

総門

庫裏

茶所

一字写経場

裏門

茶枳尼天(だきにてん)

大文字山(左大文字山)
last update
2014-05-02