宇治上神社は、「ウジノワキイラツコ」(※)「応神天皇」「仁徳天皇」を主祭神とする神社です。

創建は不詳ですが、かつてこの地には応神天皇の離宮があり、その皇子のウジノワキイラツコが居住していました。皇子の死後、その御霊を祀るため、仁徳天皇によって社が建てられたのが始まりといわれています。

宇治上神社の近くには「ウジノワキイラツコ」を主祭神とする宇治神社があり、両社は対の関係で、昔は宇治上神社を「離宮上社」「離宮本宮」、宇治神社を「離宮下社」「離宮若宮」、両社を一つにして「宇治離宮明神」「離宮八幡宮」などと呼んでいました。

また、平等院が創建されてからは、その鎮守社としての役割を担うようになります。

(※)
『古事記』は「宇遅能和紀郎子」、『日本書紀』では「菟道稚郎子」と記されています。

応神天皇の後継者

応神天皇は多くの子孫を残しましたが、中でもウジノワキイラツコの才能を高く評価し、後継に据えます。応神天皇の崩御後、ウジノワキイラツコは異母兄の皇子「オオサザキノミコト」(※1)と皇位を譲り合い、 即位しませんでした。

こうした動きに対し、他の異母兄の皇子「オオヤマモリノミコト」(※2)は、自らが後継に選ばれなかったことを恨み、ウジノワキイラツコの殺害を計画しますが、それを察知したオオサザキノミコトによって、計画がウジノワキイラツコに伝わり、逆に殺されてしまいます。

(※1
『古事記』は「大雀命」、『日本書紀』には「大鷦鷯尊」と記されています。
(※2
『古事記』は「大山守命」、『日本書紀』には「大山守皇子(オオヤマモリノミコ)」と記されています。

ウジノワキイラツコの最後

『古事記』には「早くしてこの世を去った」としか記されていませんが、『日本書紀』は「オオサザキノミコトに皇位を委ねるべく自ら命を絶った」と記されており、一般的に美談として扱われています。

その後、オオサザキノミコトは第16代天皇(仁徳天皇)として即位されます。

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