天龍寺は、臨済宗天龍寺派大本山の寺院です。

暦応2年(1339)北朝の足利尊氏が南朝の後醍醐天皇の菩提を弔うために、嵯峨にあった亀山天皇(※)の離宮「亀山殿」を禅寺としたのが始まりといわれています。開山は天龍寺の建立を尊氏に進言した、夢窓疎石になります。

南朝との戦いにより、天龍寺造営の資金が不足していたため、幕府は元へ貿易船(天龍寺船)を派遣します。貿易は成功し、得た利益を元にして伽藍の整備を行い、康永4年(1345)に天龍寺は完成します。

尊氏は、臨済宗の寺格である五山に天龍寺を加えることを望み、五山の決定権が将軍に一任されたことで、天龍寺は五山の第一位となり、別格(最上位)とされていた南禅寺と大徳寺のうち、後醍醐天皇が庇護していた大徳寺は、五山から外されました。

元治元年(1864)の「禁門(蛤御門)の変」では、長州藩が天龍寺に陣を敷いたため、御所から敗走してきた長州兵と追撃してきた薩摩兵との間で戦闘が起こり、勅使門などの一部を除いて焼失してしまいます。現在、創建時の建物は存在せず、天龍寺を構成する建物の多くは明治以降のものになっています。

(※)
南朝の祖であり、嵯峨の地には、亀山上皇とその皇子の後宇多上皇が院政を敷いていた、大覚寺があります。

そうげん庭園

曹源池庭園都林泉名勝図会曹源池を中心にした池泉回遊式庭園で、夢窓疎石の作庭といわれています。池の名称は、夢窓疎石が池の中から「曹源一滴」と刻まれた石碑を見つけたことに由来します。

寛政11年(1799)刊行の『都林泉名勝図会』に描かれた曹源池庭園(挿絵:西村中和)を見ると、現在の庭園が少なくとも江戸後期以前の面影を残していることがわかります。

勅使門勅使門

寛永18年(1641)京都御所から移築したもので、伏見城の遺構と伝えられています。天龍寺に現存する最も古い建物になります。

参考文献

都林泉名勝データべース『都林泉名勝図会』(国際日本文化研究センター)

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