高山寺

高山寺の歴史

寺伝によると、宝亀5年(774)光仁天皇の勅願によって開創された神願寺都賀尾坊を起源としています。尚、寺名は、光仁5年(814)に栂尾十無尽院と改められています。

栂尾十無尽院は、建永元年(1206)後鳥羽上皇の院宣により、明恵(1173-1232)に下賜されます。明恵は、華厳宗復興の道場として再興を図り、上皇から勅額「日出先照高山之寺」を賜わり、寺号を高山寺と改称します。

天文16年(1547)細川晴元の焼打ち(※1)により荒廃し、江戸時代に入り、寛永13年(1636)’秀融・永弁上人が堂坊の再興にあたり 旧観をやや回復‘(※2)します。

明治5年(1872)より真言宗の所轄となり、御室派に属しますが、昭和41年(1966)御室派から離脱し、現在は真言宗の単立寺院となっています。

明恵とお茶

栄西が宋より持ち帰った茶種を明恵に贈り、明恵は自ら山内で栽培し、宇治(跡影園)など他の土地にも移し植えたとされています。このことから、栂尾は茶の発祥地、明恵は茶祖といわれるようになりました。

駒蹄影園碑より(※3

‘鎌倉時代の初めごろ、宇治の里人たちが茶の種の蒔き方がわからず困っているところへ、通りかかった栂尾高山寺の明恵上人が馬を畑に乗り入れ、その蹄(ひづめ)の跡に種を蒔くように教えたと伝えられています。’

日本最古の茶園

山内に茶園とその付近に日本最古之茶園碑がありますが、実際に日本最古と伝わる茶園は、清滝川を挟んだ深瀬三本木にありました。

石水院

石水院 南縁創建当初の石水院は、後鳥羽天皇の御学問所を移築したもので、金堂の東に位置する東経蔵の谷向かいにありました。安貞2年(1228)の洪水により流され、その後、東経蔵が石水院の名を継ぎます。明治22年(1889)現在の場所に移され、その過程で住宅風に改築されました。南面長押の上に勅額「日出先照高山之寺」、西面には富岡鉄斎(1837-1924)の額「石水院」が掛けられています。

(※1
『厳助往年記』より
(※2
公式パンフレットより
(※3
宇治の萬福寺前にある石碑で、大正15年(1926)宇治群茶業組合により建立されました。
last update
2014-11-30