北野天満宮 拝殿北野天満宮は、天神信仰の象徴である菅原道真を主祭神とする神社です。
菅原道真を祭神とする神社を「天満宮」といい、北野天満宮はその総本社で、現在は学問の神として広く知られています。

道真は平安時代に活躍した学者出身の政治家で、宇多天皇から重用され、数々の要職を歴任します。寛平9年(897)宇多天皇が譲位し、醍醐天皇の御代となりますが、引き続き重用され、若くして即位された醍醐天皇の政務を藤原時平とともに支えていきます。

昌泰2年(899)道真は右大臣の職に就きますが、左大臣となった藤原時平と政治的対立が表面化していき、昌泰4年(901)道真が娘婿の斉世親王(※)を皇太子にさせようとしているとの噂が流され、それを信じた醍醐天皇により大宰府(福岡県)へ左遷させられ、太宰府の次官にあたる大宰権帥の職に就きます。その2年後、道真は失意のまま大宰府で亡くなりました。

(※)
斉世親王(ときよしんのう)は宇多法皇の第3皇子で、道真が太宰府に左遷されると、法皇のいる仁和寺に入り、真寂(しんじゃく)と名乗ります。

道真の死後、不幸な出来事や天変地異が立て続けに起こったため、これを道真の祟りと考えた朝廷は、御霊を鎮めるため、延喜23年(923)道真の罪を許し、贈位を行います。

延長8年(930)内裏の清涼殿に雷が落ち、死者が出ます。その中の一人、藤原清貫が道真の追放に関わっていたため、この落雷は「道真の怨霊が雷神となり雷を落とした」という、道真を「天神」(※)として畏怖・祈願の対象とする「天神信仰」の契機となります。

(※)
他にも天神信仰があり、道真は「天満天神(てんまてんじん)」と呼ばれています。

天慶5年(942)右京七条二坊十三町の住民、多治比文子(たじひのあやこ)は、「我が魂を右近馬場に祀れ」と道真から神託を受けますが、身分が低かったため、自宅の近くに社を建て、御霊をお祀りします。これが北野天満宮の起源とされています。
その後、他の者にも同様の神託があり、天暦元年(947)御霊は現在の地に移され、朝廷によって道真を祀る社殿が造営されました。

創建時は、道真の祟りを鎮めるための性質が強く、道真が「学問の神」として信仰されるようになったのは中世からといわれています。

現在の社殿を中心とした建築物は、慶長12年(1607)豊臣秀頼によって造営されたものです。

道真と梅

道真の邸宅は、沢山の梅の木が植えられており、「紅梅殿」とも呼ばれていました。道真は京を去る前、庭の梅の木をみて、以下の和歌を詠んだといわれています。

"東風(こち)吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 主(あるじ)なしとて 春を忘るな"
『拾遺和歌集』
(春の東風が吹いたら、花を咲かせて香りを届けてくれよ、梅の花。主人がいなくなっても、春を忘れてはいけないよ。)

この他にも「梅」を用いた歌をいくつも遺しており、道真が生涯にわたり、梅の花に対して特別な感情を持っていたことが伺えます。

星梅鉢このような理由から、道真を祀る神社(天満宮)の神紋は、梅の紋としています。(右の画像は、北野天満宮の神紋で「星梅鉢(ほしうめばち)」と呼ばれています。)

道真と牛

牛は天満天神の神使とされ、道真を祀る神社の境内には臥牛の像がみられます。

臥牛の像臥牛である理由は、道真が延喜3年(903)に亡くなり、遺体は牛車を使って運んでいましたが、途中で牛が伏せて動かなくなってしまったため、その付近にあった安楽寺に埋葬された(※)という言い伝えからくるものです。これは、道真が「自分の遺体は、牛車に乗せ、その牛が止まった場所に埋葬してほしい。」という遺言を残していたともいわれています。

(※)
後に墓所には社殿が造営され、現在の太宰府天満宮の起源となります。

牛が神使である理由は、道真の神号「天満大自在天神」に起因するものと考えられています。(「大自在天神」は、ヒンドゥー教の神「シヴァ」にあたり、シヴァの乗り物は白い牛とされ、仏教の大自在天神も白い牛に乗るといわれています。)

この他にも、道真の生まれた承和12年(845)が丑(うし)年にあたることなど、道真には、牛にまつまる逸話がいくつも残されています。

北野天満宮 社殿権現造(石の間造)

本殿と拝殿は、「石の間」という石畳の廊下で繋がっており、この建築様式を「権現造」(石の間造)といいます。

本殿の祭神

本殿では道真と共に、長男「菅原高視(たかみ)」と正室「島田宣来子(のぶきこ・せきこ)」が祀られています。

また、本殿には上記祭神を背中合わせにして、道真の先祖「天穂日命(アメノホヒノミコト)」(※)、祖父「菅原清公(きよきみ)」、父「菅原是善(これきよ)」が祀られており、これらを「御后三柱(ごこうのみはしら)」と呼んでいます。

(※)
アマテラスとスサノオが誓約(うけい)をした際、アマテラスの勾玉から生まれた五男神のうちの一柱です。

中門(三光門)

中門後西天皇(1637-1685)の宸筆「天満宮」の勅額を掲げる中門は、3つの光の彫刻があることから「三光門」と呼ばれています。(解説では、3つの光は「日」「月」「星」としています。また、一説には「星」の彫刻がないといわれており、「星欠けの三光門」とも呼ばれています。)

参考文献

北野天満宮社報

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