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創建は不詳ですが、社伝によると、第18代反正天皇の時代、神武天皇の母の玉依姫は、黄船を使って、浪速から淀川、鴨川、貴船川とさかのぼり、現在の奥宮(おくのみや)に行き着き、水の湧きだす龍穴に社殿を建て、水神である高龗神(たかおかみのかみ)を祀ります。これを貴船神社の起源としています。

水神を祀ることから、日照りや長雨のときには、朝廷より勅使が遣わされ、祈雨、祈晴の儀式が行われていました。

永承元年(1046)の水害によって奥宮が被災し、天喜3年(1055)本社を本宮に移築します。平安末期には上賀茂神社(賀茂別雷神社)の摂社となりますが、明治4年(1871)に同社から独立しました。

丑の刻参り

貴船の祭神が貴船山の中腹の鏡岩に降臨したのが、「丑の年」「丑の月」「丑の日」「丑の刻」であることから、丑の刻に参拝することで心願成就のご利益が高まるといわれています。また、「宇治の橋姫」で知られる呪術的な丑の刻参りは、上記の伝承から転じたものと考えられています。

絵馬発祥の地

祈雨に黒馬、祈晴には白馬か赤馬が奉納されていましたが、『類聚符宣抄』(※1)の祈雨の項に、天暦2年(948)「板立馬」を奉納したとの記載があり、馬の代わりに馬の絵を描いた板が奉納されていたのが確認できます。これらの事柄から、貴船神社を絵馬奉納の発祥の地としています。

(※1
平安時代の宣旨などの公文書を編集した私的な法令集で、別名『左丞抄』といいます。

びき神事

奥宮の本殿の改修時には、隣接する権地に建物を移し、下にある龍穴に覆いをして改修を行い、作業終了後、元の場所に戻します。この神事を附曳神事といいます。

文久3年(1863)の附曳神事では、大工が誤って屋根から鑿(のみ)を龍穴に落としますが、にわかに穴から風が吹き、鑿は元の場所に戻りますが、大工はその後、命を落としてしまうという悲話があります。

平成24年(2012)には、150年ぶりに附曳神事が行われ、貴船神社が龍穴について言及しています。‘さて、気になる龍穴ですが、間違いなく存在しました。ただし、穴の上は分厚い壁土のようなもので蓋が施され、中の様子は秘められたままです。’(社報『氣生根』より)

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