上賀茂神社

上賀茂神社の歴史

上賀茂神社は、下鴨神社とともに賀茂氏の氏神を祀る神社で、両社をもって賀茂社と称します。

主祭神の「賀茂別雷命」(※1)は、初代天皇である神武天皇の時代、現在の社殿の北北西にある神山に降臨したといわれています。白鳳6年(678)には、現在の社殿の礎とされる賀茂神宮が造営されました。

延暦13年(794)の平安京遷都からは、山城国一之宮として政治的、宗教的にも重要な役割を担い、明治4年(1871)から第二次世界大戦後の昭和21年(1946)までの社格制度(旧社格)においても、最上位の官幣大社におかれていました。

立砂(盛砂)

立砂祭神を里に迎えるための依代で、賀茂別雷命が降臨した神山に因んでつくられました。‘立砂の頂に松の葉が立てられているのは、昔、神山から引いてきた松の木を立てて神迎えをしていた名残と云われています。’(※2)また、この信仰を起源として、鬼門・裏鬼門に砂を撒き清める「清め砂」が始まったといわれています。

賀茂斎院の制

弘仁元年(810)嵯峨天皇は、伊勢神宮の斎宮の制を倣い、賀茂斎院の制を定めます。境内には斎院(斎王の御所)が置かれ、遣わされた未婚の皇女は、御杖代(みつえしろ)として、賀茂社に仕えました。この皇女を斎王といい、初代は第8皇女の有智子内親王で、この制度は約400年続きました。

式年遷宮

長元9年(1036)後一条天皇の宣旨により、伊勢神宮と同じく式年遷宮の制度が定められ、諸事情により周期が延びる事もありましたが、21年毎に遷宮(※3)が行われました。現在は、本殿をはじめ、数多くの社殿が国宝または重要文化財の指定を受けているため、21年毎に社殿を修理をし、その間、仮殿に神体を移し、修理後に戻すという形をとっています。

(※1
『山城國風土記』によると、玉依媛が鴨川の上流から流れてきた丹塗の矢を持ち帰ったところ、矢の力で男子を授かります。名前は、玉依媛の父で賀茂建角身命から「賀茂別雷命」(かもわけいかづちのみこと)としました。
(※2
公式パンフレットより
(※3
社殿を新しく造り替えて神体を移すこと
last update
2015-01-09