西本願寺

西本願寺の歴史

本願寺は、浄土真宗本願寺派の本山です。

本願寺の歴史は、文永9年(1272)親鸞の息女である覚信尼が洛東大谷に親鸞の廟堂を建立した事に始まります。後に親鸞の曾孫にあたる覚如は、廟堂を本願寺と改め、親鸞を宗祖、その孫で覚如の師である如信を本願寺2世、自身を3世とし、浄土真宗の基礎を築きます。

教団の本拠は何度か移転していて、寛正6年(1465)延暦寺の衆徒に破却されるまでは、洛東大谷にありました。現在の堀川六条になったのは、豊臣秀吉の寄進によるもので、 天正19年(1591)11世である顕如の代になります。翌年、顕如が亡くなり、長男である教如が本願寺を継承しますが、石山合戦で強硬派だった事から秀吉に警戒され、12世は三男の准如に決まり、教如は隠居に追い込まれます。

慶長7年(1602)徳川家康から本願寺の東に位置する烏丸六条の地を与えられたことで、教如は烏丸六条を本拠とし、本願寺12代に就任したことから、本願寺は西(浄土真宗本願寺派)と東(真宗大谷派)に分裂します。後に西本願寺、東本願寺と通称されるのは、これに起因します。

寛永16年(1639)には、龍谷大学の前身となる学寮が境内に創設されています。

慶応元年(1865)3月から慶応3年(1867)6月にかけて、新選組の屯所が置かれていました。新選組が使用していたのは、北集会所と太鼓楼で、北集会所は兵庫県姫路市の亀山本徳寺の本堂として移設されたためにありませんが、太鼓楼は現存しています。

last update
2014-05-27